Bag
旭日章受章 猪瀬昇一さんに聞く・日本の鞄 -後編-
かばんメーカー「株式会社猪瀬」の会長を務める、猪瀬昇一さんにインタビューをさせていただくシリーズ、今回は後編です。前編では昭和時代のかばんづくりについてお伺いしましたが、後編では「自社オリジナルブランドについて」、また「これからものづくりをする人に伝えたいこと」などをお聞きしました。
1 ジャパンクオリティを支え続ける
では改めてお伺いしますが、お父様から引き継がれて二代目の社長になられたのは、いつ頃になるのでしょうか?
猪瀬さん: 私が社長に就任したのは1992年で、ちょうど日本ではバブルが弾け、経済の混迷が続いていた頃ですね。同時にかばん業界では、90年代に海外へと拠点を移す企業が増え、国内が空洞化し始めていたときです。中国やASEAN地域にものづくりの拠点を構えて、安く作ることが当たり前になっていた時代に、私たちは愚直に国内生産にこだわってきました。
海外からは低単価の製品が日本に大量に入ってきていましたが、時代遅れと言われても、自分たちは国内の職人たちと妥協のない製品づくりにいそしんでいました。「国産」にこだわり続けるブランドに応えたい、という気持ちもあったと思います。
なるほど、当時は海外に出ていく企業が本当に多かったと思います。そんな中、「国産」というキーワードが浮上する前から、メイドインジャパンにこだわっていたのですね。
猪瀬さん: そうなんです。ところが2000年代になってからは少し風向きが変わり、海外拠点から日本国内へと軸足を戻すメーカーも増えてきました。国産の良さが見直されるようになり、自分たちでも言われたものを作るだけでなく、時代に合った企画を考え、メーカーに合った技術を提案していきました。
OEMメーカーとして着実に実力をつけてきた頃、若い世代を中心に、自分たちのブランドを直接ユーザーの方に届けたいという想いが強くなってきました。社内で様々な話し合いを重ね、2004年に株式会社猪瀬のオリジナルブランド「フラソリティ」が立ち上がりました。「ジャパンクオリティ」を長らく支え続けてきた、生産ノウハウと技術力を、このブランドに全て注ぎ込んだと言っても過言ではないと思います。
もう20年近く前になるのですね。実は業界内でも「フラソリティ」のファンが多いことに驚きます。立ち上げて4年後の2008年には、ジャパンレザーアワードの部門賞を受賞されていますね。また過去にも数々の鞄コンテストの受賞歴がありますが、みなさんの熱意がこうした実績に反映されているのだと思います。
猪瀬さん: ありがとうございます。実は自分たちがOEMにもオリジナルにも柔軟に対応できたのは、社内にあえて工場を持たず、外注職人さんと密にコミュニケーションを図りながら、効率よくアウトソーシングしてきたことが大きいと思います。
外注さんとはいえ、私たちも彼らの強みを把握し、誰に何をどう発注すれば最大限の力を発揮してもらえるかを常に考えています。現在は腕の良い30人程度の方々に働いてもらっています。効率重視で職人さんを急がせたりすると、必ず何かミスが起こります。それが怖い。ひとりひとりの強みに合わせ、段取りを考えて徹底的にサポートするのが私たちの役目だと思っています。
2 作り手の姿勢の大切さ
なるほど。聞けば誰もが知っている有名ブランドも、実は猪瀬さんが作っているというお話しもよく伺います。品質にブレがなく、見えないところまで美しい縫製だと話す方もいらっしゃいます。2012年の第一回「日本鞄ハンドバッグ協会技術認定試験」では、特に難しい「一級認定」を獲得した方もいるとのことで、クオリティの高さの裏付けにもなっていますね。
猪瀬さん: そうかもしれません。一級試験は確かに大変難しいものですが、それをクリアできる方というのは、高いテクニックを持っているだけでなく、かばん作りへの謙虚な姿勢と、精神が常に安定していることも大切だと思います。ものづくりには、作り手の精神が反映され、気持ちが宿る製品には感動があるものなのです。気持ちがギスギスしている人は、商品もどこかギスギスしたものになってしまう(笑) これは本当ですよ。なので自分のベストな状態を把握して、一定のクオリティ以外のものに対して、「これよりもっと良く出来るのでは」と感じられるような人が、一流の職人と言えるのではないでしょうか。
素人には他と同じ製品に見えても、「商品に感動がある」と思えるのはさすがですね。そう判断できる感覚は、一朝一夕ではないと思いますし、当たり前ですが日々健康でいることも、ものづくりには大切なことなのですね。
猪瀬さん: はい、そうなんです。私たちは職人さんたちに、一本あたりの工賃を比較的高めに設定しています。一流のものを生み出す方々に安心して働いてほしいということに加えて、海外へと拠点を移さなかったからこそ[国産の価値」を理解できているからだと感じています。
3 女性活躍と人材育成について
猪瀬さんのお嬢様も、かばん職人として社内で働かれているとお聞きしました。現代の女性活躍社会のなかで、女性職人は増えてきているのでしょうか?
猪瀬さん: 増えているかどうかはわかりませんが、少なくとも弊社では20代、30代の職人希望の女性が入社してくれていますし、技術力もめちゃくちゃ高いですよ。力仕事の部分は男性の方が有利かもしれませんが、繊細な感覚など強みもありますし、技術面に関してはあまり変わらないと思います。更にもっと多くの女性が、かばん業界に入ってきてほしいですね。
確かに、企画などの部門だけでなく広く女性たちが働きやすくなると、業界ももっと活性化しそうです。また、猪瀬さんが将来こんなことをしてみたい、と思い描かれることなどはありますか?
猪瀬さん: 最近は、職人の専門学校のようなものを作りたいと思っています。例えば、かばんの産地である豊岡には、「豊岡かばん アルチザンスクール』という職人養成学校があります。私は学校の立上げに関わりましたが、全日制の本格的なカリキュラムを組み、卒業後の受け入れ先まで一貫して考えられています。
葛飾区や台東区、墨田区など「イースト東京エリア」も、実は皮革産業をベースにしたかばんや革小物の産地でもあります。そこで将来的に、かばん作りをトータルで学べるスクールのような場所が作れないかと考えています。かばん作りをやってみたい、と思える優秀な人材を育てていかないと、この業界の存在が危ぶまれてしまいます。そういった危機感はとてもありますね。
確かにそうですね…。人材育成は本当に急務な課題かと思います。東京で独自のスクールなどが出来ることはとても興味深いです。最後に、猪瀬さんが商品やものづくりに対する信条をお持ちだとお聞きしましたが、それを伺ってもよろしいでしょうか?
猪瀬さん: はい。かばん作りを手掛けて半世紀以上が経ちますが、様々な経験から実感してきたことがあります。かばんづくりでも何であっても、「人が作るもの」であれば、その商品には作り手の人間性や人生観が滲み出るもの、と考えます。なので、職人志望だからといって学ぶことを怠らず、本を読み、美しいものを見て、日々自分自身を磨いてほしいということを、これからを生きる皆さんにお伝えしたいです。
長いお時間、ありがとうございました。猪瀬さんから頂いたメッセージは、皆さんにきっと届いていることと思います。改めまして、旭日小綬章の受賞おめでとうございます。