Bag
吉田カバンの創業者、父・吉田吉蔵氏のものづくりを継ぐ <手縫いの革カバンを広める野谷久仁子さん> -前編-
革かばんのインタビューは、いよいよ最終回となりました。
今回お伺いしたのは、浅草・今戸にある吉田カバン創業者である「吉田吉蔵記念館」。その建物の2階フロアでは、吉蔵氏の次女・野谷久仁子(のたにくにこ)さんが手縫いかばんの教室を開かれています。
2004年に上梓された著書「手縫いで作る革のかばん」は、初心者からベテランの方にとっての手縫いかばんのバイブル。父・吉蔵氏から受け継いだ手縫いの技術と、卓越したデザイン力が終結した一冊となっており、今なお増刷を重ねています。
吉田カバンのものづくりを貫く「一針入魂」。娘である野谷さんの視点から、吉田カバンを創業された吉蔵氏の横顔、そして手縫いカバンへの想いを語っていただきました。
1 ものづくりはオーダーメイドの帽子づくりから
今日はよろしくお願いいたします。
こちらの「吉田吉蔵記念館」は、かつて吉田吉蔵氏がカバンや小物づくりをされていた工房だった場所とお伺いしました。使われていた道具やミシン、型紙などがそのまま残されていて、大変貴重な場ですね。
そもそも、野谷さんが手縫いカバンを製作することとなったいきさつをお伺いしてもよろしいでしょうか?
野谷さん: はい、今日はよろしくお願いいたします。この場所は、父が70代になってから通い詰めた工房です。材料を揃えたり、職人さんに仕事をしてもらう場所でもありました。
父は12歳で鞄屋さんに奉公に出ました。そして29歳でカバン製造の「吉田鞄製作所」を立ち上げてから、ずっとカバン一筋の人生でした。吉田カバンの経営を軌道に乗せ、長男に企業経営を任せた後は、昔身につけた革手縫いの技法で、自分の好きなものを製作したいという願いがありました。それを実現したのがこの場所です。
私は父と、最初からカバンの仕事をしていたわけではありません。もともと40歳くらいまでは、帽子の製作とデザインを行っていました。特にウエディングの帽子や、CMに使うような1点もののオーダーメイドの製作依頼を多く手がけておりました。
最初からカバンのお仕事に携わられていたのかと思っておりましたが、野谷さんは帽子デザイナーがキャリアのスタートだったのですね。ものづくりという面では共通していますが、何か吉蔵さんからアドバイスなどはあったのでしょうか?
野谷さん: とにかく「美しいものをたくさん見ろ」ということは良く話していました。ウエディングの帽子を手掛けたのも、女性が一生に一度ハレの舞台でかぶる帽子なのに、素敵なデザインのものがあまりにも少ないと感じたことから始めたという背景もありました。
ただ私が帽子だけでなく、“カバンとセットで作れたら面白いのでは”と考え始めた頃から、徐々にカバン作りに興味を持ち始めました。
カバンに対して興味を持たれたのは、かなり後になるのですね?
野谷さん: そうなんです。ちょうどその当時、カバン作りの技術者を養成するための研修があることを知りました。父は「カバン作りの基礎的な知識を学んでから教える」と話しており、基本講座を受けることが不可欠でした。子育てと並行するうえに40代からの受講ということで少し迷いましたが、今回で最後だと聞いたので思い切って参加しました。
2 カバン作りに復帰した父からの教え
帽子デザイナーからカバンへと、思い切った転身だったのですね。2年間の研修期間が終わってからは、吉蔵氏からのカバンの手ほどきはいかがだったのでしょうか?
野谷さん: そうですね、研修が終わってからは毎日父の工房に通い、手縫いの技術をそばで学びました。
父は怖そうなイメージかもしれませんが、実は決して怒らない人なのです。「ここは大切なところだから、黙って見ているように」と、静かに声をかけるタイプです。上手くいかない時は「苦労したんだね」とか。ダメだという言葉は掛けられたことがありません。そういう意味では、ほめ上手でもあったので、相手のやる気を引き出す人だったと思います。
たった二本の木綿針でどんなカバンでも作り上げてしまう、その卓越した技術力を間近で見ることで、私自身も手縫いカバンの職人になることを決めました。
よく職人さんは、教えるのも厳しいと伺いますが、吉蔵さんは素晴らしい師だったのですね。技術を間近で見ることができたのは、大変貴重な経験だったのではないかと想像します。
野谷さん: それまでは経営者だった父が、40年間のブランクを経て70代でカバン作りへと復帰します。そしてそのブランクを微塵も感じさせず、手縫いで次々とカバンを仕立てていく変わらない技術力の高さには、本当に圧倒されました。多くの方に見ていただきたかったです。
今でこそ、革を縫うための専用の針が販売されていますが、父が使っていたものはごく一般的な木綿を縫うための針。先端をやすりで落として使っていました。その2本の針で、ブリーフケースから女性のハンドバッグまで、様々なものを一気呵成に作り上げる様は、そばで見ていて衝撃的でした。
今では手縫いというと、一部の革小物など限定的なものと思ってしまいますが、裏地を除いて全て手縫いで仕立て上げるというお話しは本当に驚きですね。
野谷さん: そう感じられるのも無理はないと思います。この工房に戻ってきた父は、自身の商売の原点である「手縫い」に対して、とても愛情が深かったと思います。88歳で亡くなりましたが、私には「手縫いのカバンを残してほしい」「工芸品ではなく、楽しく出来る手縫いの世界を広めたい」ということを、いつも語っていました。
この技術を絶やさず、一人でも多くの方へと手縫いの世界を広めるために、どうしたらいいかと悩んでいるときに、出版社の方から声をかけていただき「本を出さないか」と提案されました。誰もやったことのない初めての試みでしたが、編集者の方との二人三脚で2年がかりで作り上げたのが、最初の著書である「手縫いで作る革のカバン」です。
そして更に広めるために、そしてより楽しく手縫いを味わってほしいとこの教室を2010年に立上げました。現在はコロナもあって思うようには開講できていませんが、以前は北海道から九州まで全国から生徒さんが通ってくれていました。世代もお仕事も、本当に様々です。
まさに、手縫いカバンのバイブルとなった一冊ですね。出版までに2年もかかるほど大変な作業だったとは。けれどこれを読んで、手縫いカバンに興味を持った方も増えましたので、エポック的な書籍だと感じています。
さて、ここまでが前半です。
吉田カバンの創業者である吉田吉蔵氏の横顔が、野谷さんを通じて垣間見えたのではないかと思います。
後半では、野谷さんの現在の活動や、これからの抱負などもお聞きしました。