Bag
袋物参考館 PRINCESS GALLERY
(株式会社プリンセストラヤ)
<世界のバッグ・袋物の歴史を伝える企業ミュージアム> -前編-
前回は「世界のカバン博物館」をご紹介させていただきましたが、今回からはレディス向けのハンドバッグを企画・製造する、株式会社プリンセストラヤの「袋物参考館」を2回にわたってご紹介いたします。※閲覧は要予約
現在創業82年となる株式会社プリンセストラヤ。「Dakota(ダコタ)」のバッグと言えば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。業界内でも老舗のハンドバッグ企画卸であり、Dakotaは今もなお若い世代からシニア層まで、幅広い世代に愛され続けるロングセラーでもあります。
JR浅草橋駅から徒歩3分ほど。プリンセストラヤ本社ビルの5階フロアの一角に、「袋物参考館」があります。この参考館は創業50周年記念事業のひとつとして1989年(平成元年)に設立されました。
ハンドバッグの歴史を伝えるミュージアムは、国内においては大変珍しい存在です。ここは、プリンセストラヤが創業以来、コツコツと収蔵してきた国内外の貴重なバッグの数々を、一般の方でも間近で見ることができる施設です。
「博物館」ではなく「参考館」という呼び名にしたのは、大きな理由がありました。創業者・宮澤髙次郎と深いつながりのあった、人間国宝の陶芸家 濱田庄司氏による「益子参考館」に、単なる博物館というネーミングにはない“用の美”という面で、共鳴することが多かったからと言われています。
では収蔵品を通じて、ハンドバッグの歴史を一緒に紐解いてみましょう。
※取材はリモートでさせていただきました
1 カバンとハンドバッグの違いとは
「袋物参考館」は、世界50ヶ国あまりの民族の生活用具として使われてきた、バッグ・袋ものなど現在約5000点の収集品の中の、約300点が展示されています。
- 日本の喫煙具や小間物の歴史
- 世界の民族の生活に根づいた袋物
- 昭和時代の女性のバッグの変遷
- 珍しい素材のバッグ
- ヨーロッパの著名メーカーのハンドバッグ
- 技術者が自分の夢を表現したバッグ
そもそも前回は「カバン」、今回は「ハンドバッグ」と、一般的に同じものを指しながら呼び方が違うのはなぜでしょうか。
実はそれぞれの成り立ちに大きな違いがありました。「カバン」は主に男性向けのブリーフケースやダレスバッグなど、かっちりしたタイプを総称します。量産化のきっかけは、兵庫県豊岡市でさかんだった「柳行李」づくりから端を発しています。
「ハンドバッグ」は日本古来の「袋物」がはじまりで、明治時代の「煙草入れ」や女性たちの「匂い袋」、明治大正期の「信玄袋」など、口を絞ったり丸みを帯びたりと、柔らかなタイプを総称します。現在も国内の製造企業は「カバン」と「バッグ」では明確に分かれており、その作りは全く異なるルーツを持っています。
2日本のハンドバッグの生い立ち
では、袋物を切り口に日本の歴史を紐解いていきましょう。
はじまりは神話に登場する、大国主命(おおくにぬしのみこと)が担いでいた、大きな袋あたりが元祖かもしれません。
古代の「燧袋(ひうちぶくろ)」が巾着へと変化したように、袋物は何世紀にもわたって伝えられてきました。古事記に記載されている「負嚢(ふのう)」などは、風呂敷の原型とも考えられています。
奈良・平安時代になると、「針袋」「歌袋」「匂い袋」「餌袋」と入れるものの用途別になり、貴族文化を反映しているものが多くあります。
鎌倉室町時代に入り、武家文化へと移ると「武具嚢」「柄袋」「鞘袋」「打ち物袋」といった、武士の必需品がでてきました。一方、絹織物を使った「巾着」「面袋」「茶器袋」「袱紗(ふくさ)」といったものも作られました。
桃山時代には、ポルトガル、スペイン、オランダなど南蛮文化の影響で、染物、編み物、更紗(さらさ)、羅紗(らしゃ)、ビロードなど、海外から輸入された材料により素材が絢爛豪華になってきます。
江戸時代は町人文化が栄え、「胴乱」「提げ袋」「懐中袋」「財布」という、現在のハンドバッグや小物に近いものが徐々に登場して来ます。
そして文明開花の明治時代となって、これまでの時代との一番の違いは「服装の変化」でしょう。着物から洋服への変化は、懐中物や腰まわりに限られていた袋物に対し、「手で持つ」形態へと移りました。「がま口」「手提げ」「折れ鞄」などで、呼び方もいよいよ「バッグ」と変わりました。ヨーロッパの貴族たちが持つ「オペラバッグ」が、ハンドバッグの原型とも言われています。
3 世界のハンドバッグの歴史
では、ファッションの先輩であるヨーロッパ、そして世界ではどのようなバッグの歴史があるのでしょうか。
袋物参考館に収蔵されている世界のバッグから古いものを見てみると、存在しているものは1800年代前半のイスラム教徒の護符入れです。装身具としてだけでなく、悪霊を追い払うことができる大切なものとされていました。他にも中国やトルコなどの地域で作られた、民族ごとの美しい刺繍が施された袋物も展示されています。
またフランスからは、ナポレオンが皇帝であった時代の書類用カバンも収蔵されています。革に金箔で型押しする、工芸的な手法で作られています。
そして1900年代には、上流階級の婦人たちがオペラを見に行く際、オペラグラスだけを持ち込むために作られた「オペラバッグ」が広がります。その作りは工芸的にも優れており、銀の鎖がメッシュ状になったものや、シルクに細かな刺繍が施されたもの、七宝焼きをはめ込んだものなど、ため息が出るほどのこまやかな作りです。
日本のバッグ職人たちが、海外から輸入されたこれらの「お手本」を元に、見よう見まねで技術力を磨いていったことが、今のものづくりにも繋がっています。
以上、「袋物参考館 PRINCESS GALLERY」の収蔵品から見た、日本と世界のハンドバッグの歴史でした。
次回は、プリンセストラヤが創業から製造してきた歴代のバッグから見る、日本の文化と風俗について紐解きます。お楽しみに。