シューワード玉手箱
靴磨き
日本に<靴磨き>という商売が定着し始めたのは、どうやら明治19年頃らしく、東京絵入新聞の4月24日に、「このごろ靴みがきと呼び歩くものあり是も日本では珍しい」とある。
都内の靴磨き標準料金
◇1946年 1円50銭
◇1948年 10円
◇1955年 20円
◇1961年 50円
◇1970年 100円
◇1980年 300円
◇1990年 300円
◇1995年 300円
♪サーサ皆さん 東京名物 とってもシックな 靴みがき 鳥打帽子に 胸当てズボンの 東京シューシャンボーイ──
私は、旅に出るとなぜか靴みがき屋の前へ、足をおいてみたくなる。あれはたぶん、旅に出たという多少の興奮が、自分に役づくりの楽しさを与えているのだろう──
靴磨き靴見て老いぬ鰯雲 倉田春奈
この見てくれの時代に、靴磨きは後ろめたい商売として廃れかかっている。例えばディスコやレストランの一角にシュー・クリーナーを収容したら、絶対流行ると思うのだが。惜しい。
朝、玄関に光った靴が待っているのは、気持ちの良いものです。なにかすばらしい一日となりそうな予感さえします。輝きのある靴と汚れた靴とでは、どうも違った人生を歩むことになりそうに思う。
靴を見れば、その人がおしゃれかどうかがわかる、といいます。確かに、洋服はそれなりのものを着ていても、靴がボロボロだったりすると、「あ、この程度ね」と、いわゆる「足元を見られる」という状態になるわけです。
どんな高い靴を履いていたとしても、そのケアを怠るような者に靴を語る資格はないのだ。
孤独な現代人に、本物の完成の喜びを与えてあげたい。それは実に身近なところにあった。靴みがきである。手近で手っとり早く、でき、誰にでも実利をあじわえるもの、それが靴みがきである。
靴磨きとは結局のところ、自己管理ができているかどうかの象徴です。靴を大切にしているかどうかが、セルフマネジメントできているかどうかの指標になります。
なによりも精神衛生上、靴のリペアはいい影響をもたらすのである。オレは決してモノを粗末にしていないぞ、モノを大事に扱っているぞと自分に確認できることは、正しい生き方を実践していると納得できる。
丁寧に扱うと靴はどんどん可愛くなってくる。磨けば磨くほど艶は増し、木型のおかげで、カタチだってカッコイイぞ。初めてめぐってきた私と靴の蜜月である。
男の靴は──最低必要な、基本の靴だけあればよい。ローファーと、スニーカーと、プレーントウの紐じめと、ワークブーツと、この四足があればよい。そして、よく磨き、修理に出し、何年も何年もはいてほしい。
騎馬民族であるイギリス人は、革製品を財産のように慈しむ。だから靴の如きもいつも革に油を塗り、いちいち紐を結んだり解いたりして、靴が長持ちするように丁寧に履くのである。革靴はそうして大切に長く履いたときに初めて「味」が出てくる。
中年以降の婦人の殆どは流行を追わず、エレガントなデザインよりも、足にぴったりで長持ちしそうなものを選びます。そして大抵の人がその靴の色や材質にあった汚れ落としのクリームとか、型くずれ防止の靴型も一緒に求めているようです。
ロシア人の将校の靴に対する偏執ぶりってのは、凄い。大の男が、長靴となると目の色をかえて熱中するんだ。なめるようにピカピカに磨いて、何度となく鏡に映したりする。
”プロの磨き”5カ条──1.革をはじめとする素材について熟知している。2.道具を誰よりもうまく使う。3.所作の美しさと仕上がりの美しさは比例する。4.一足入魂。その靴が最大限魅力的に見えるよう、お客様のご要望を含めて仕上げる。5.早いは上手い。時間をかけて磨くのは素人。